
2025年9月13日

報告
1.「東京希望宣教教会洗礼式・フェスティバル」
※洗礼式
日時:9月21日(主日)午前10
※フェスティバル
日時:9月23日(火)午後1時
講師:尹大爀 牧師(愛の光宣教教会)
恵みの時間になりますようにぜひご参加ください。
2.「聖殿補修特別献金」
全信徒が関心と感謝の心をもって捧げましょう。
3.「初来会者」
今日初めてお越しになった方は礼拝後
案内係の案内をお受け下さい。
説教要約
心を開いてください
2025年9月14日(日曜日)
主題: 心を開いてください
本文: 使徒行伝 16:11-15
11 トロアスから船出すると、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。 12 そこからピリピへ行った。ここはマケドニア州第一の町で、ローマの植民都市であった。わたしたちはこの町に数日間滞在した。 13 安息日に、町の門を出て川岸に行った。そこには、祈りの場所があると思われていたからである。わたしたちはそこに座って、集まっていた婦人たちに話した。 14 そのとき、テアティラ市出身の紫布を商うリディアという、神をあがめる婦人が聞いていた。主は彼女の心を開き、パウロの語ることに聞き入らせた。 15 そして、この婦人とその家族がバプテスマを受けた。それから、「もし、あなたがたがわたしを主を信じる者と認めてくださるなら、わたしの家に来てお泊まりください」と懇願し、無理にわたしたちを泊まらせた。
序論
先週の日曜日は、ヨハネの黙示録3章20節を中心に、主がドアを叩かれるとき、内側から開けなければならないという終末論的な解釈で説教しました。今日は、心の扉を外側から開いてくださる神様の働きについてお話しします。
本文は、パウロの伝道旅行中に起こった出来事です。パウロは小アジアでの伝道に励んでいました。そして、引き続き小アジアで伝道しようとしていましたが、イエスの霊、また聖霊がそれを妨げられました。そこで、トロアスで見た幻の指示に従い、パウロ一行はマケドニアへ渡りました。
マケドニアは、ヨーロッパ宣教の最初の地でした。マケドニアの最初の町ピリピに福音がいち早く伝えられ、ピリピではリディアが最初にイエスを信じるようになりました。これらはすべてキリスト教の歴史において重要な名前です。マケドニアでの伝道は、パウロにとって苦難の連続であり、その苦難の中で伝道の実を結んだ場所でもありました。
ピリピで紫布を商いながら暮らしていたリディアの心を開き、パウロが伝える福音を聞いてイエスを信じ、家族全員がバプテスマを受け、彼女の家を中心にピリピ教会が始まるという歴史が起こりました。
1. トロアスからピリピへ (16:11-12)
「トロアスから船出すると、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。そこからピリピへ行った。ここはマケドニア州第一の町で、ローマの植民都市であった。わたしたちはこの町に数日間滞在した。」
彼らがトロアスからネアポリスまで(約140マイル)を2日で航海した事実は、順風で風に乗って進んだ証拠です。同じ距離でも、反対に風に逆らって帰る時は5日かかりました(使徒行伝20:6)。
行く途中、彼らは1,500メートル以上ある山岳の島、サモトラケに滞在しました。そして次の日、ネアポリスに到着しました。ネアポリスから小さな山脈を越えると、肥沃なマケドニア平野が広がっています。
ピリピはマケドニア第一の町です。アレクサンダー大王の父が築いた場所です。アレクサンダー大王がピリピでペルシャ軍を撃破した古戦場でもあります。紀元前42年にアウグストゥスに征服され、ローマの植民地となりました。アクティウムの海戦で勝利したオクタヴィアヌスは、共に戦った兵士たちをピリピ特別自治区に住まわせ、特権を享受させました。
ローマの兵士たちは特別待遇を受け、誰もがうらやむような生活をしていました。しかし、それ以外の人々は多くの税金を払わなければならず、ほとんどが苦しい生活をしていました。さらに、キリスト教徒は多くの不利益を被り、本当に苦労していました。
2. 祈りの場所 (16:13)
「安息日に、町の門を出て川岸に行った。そこには、祈りの場所があると思われていたからである。わたしたちはそこに座って、集まっていた婦人たちに話した。」
私たちが幼い頃は、教会が設立される前に、それぞれの村に祈りの場所が先に建てられ、後で教会になることもありました。祈りの場所では主に早天礼拝が捧げられ、時々本教会の牧師が来て特別礼拝を行ったり、役員会を開いたりして、教会としての準備過程にある礼拝堂兼祈りの場所でした。
ユダヤ人は会堂を建てることができない時、祈りの場所を建てます。ユダヤ人の潔めの儀式のため、都心から離れた場所、特に川岸に建てるのが一般的です。ピリピ教会には女性が多かったのです(ピリピ4:2-3)。女性の方が改宗しやすかったのです。今でも教会は一般的に女性が多い傾向にあります。パウロと一行は、川岸に女性たちが集まっているのを見て、話しかけました。これが福音を伝える接点となりました。
3. リディアの心を開かれた神様 (16:14-15)
「14 テアティラ市出身の紫布を商うリディアという、神をあがめる婦人が聞いていた。主は彼女の心を開き、パウロの語ることに聞き入らせた。 15 そして、この婦人とその家族がバプテスマを受けた。それから、「もし、あなたがたがわたしを主を信じる者と認めてくださるなら、わたしの家に来てお泊まりください」と懇願し、無理にわたしたちを泊まらせた。」
神をあがめたリディア (14)
アジアのテアティラ市出身、現在のトルコ地方の紫布商人リディアは、神をあがめていました。リディアはテアティラで入信したと思われます。神は、神をあがめていたリディアの心を開き、パウロの言葉に耳を傾けさせました。
家にもドアがあります。車にもドアがあります。飛行機に乗るには、ドア、すなわちゲートを通らなければ目的地に行けません。すべての生命体には芽生えるドアがあります。植物にもドアがあります。動物にもドアがあります。天にもドアがあります。人の心にもドアがあります。
人の心のドアは、神様が必ず開いてくださってこそ開かれます。「心のドアが開けば財布の紐も緩む」という冗談もあります。心のドアは目には見えませんが、目に見えない神様が開いてくださいます。心のドアが開くと、悔い改めがあふれ出ます。心のドアが開くと、神様の御言葉を聞いて従います。心のドアが開くと、私の中に流れる生きた水の川が流れ出て、世に向かって流れます。その生きた水を通して救いの歴史が起こります。
バプテスマ (15)
リディアの家族全員がバプテスマを受け、家を開放して教会となりました。これは幼児洗礼の根拠となり、また議論される箇所でもあります。本文以外に、コルネリオの家庭やピリピの看守の家、クリスポ(使徒行伝18:8)、ステパナ(コリント第一1:16)の場合も、家族が一緒にバプテスマを受け、その家族の中には幼児も含まれていたと考えられるからです。
バプテスマの前身であり背景である割礼を幼児が受けることから、幼児洗礼はキリスト者の家庭で受け入れるべきです。また、イエスが幼い子どもたちを祝福されたことから(マルコ10:16)、幼児洗礼は聖書的であると言えます。しかし、バプテスマとは、中心に聖霊のバプテスマを受けた外的なしるしであり、救いの絶対条件ではありません。キリスト者の家庭で幼児洗礼を受けさせ、敬虔なキリスト者として成長するよう努力して養育することに意義があるでしょう。
教会への成長
家庭教会を通して教会になる場合が多くあります。ピリピ教会はリディアの家庭で始まりました。プリスキラとアクラの家も教会になったと見られています(コリント第一16:19)。ラオディキヤのヌンパの家も教会になりました(コロサイ4:15)。コロサイのピレモンの家も教会になりました(ピレモン2)。このような例から見て、家庭礼拝を捧げ、近所の人々を招待して礼拝を捧げ、人数が多くなれば教会として成長することができます。
結論
人工的なドアは人が開け閉めできます。しかし、神様が作られたドアは人が開け閉めすることはできません。神様が作られたドアは、神様の時が満ちてこそ必ず開かれます。
マケドニアの第一の町ピリピの門を開かれたのは神様です。パウロの計画を変更させ、マケドニア人の幻を見せ、そこに行かせた方は神様です。
そこでテアティラの紫布商人リディアの心の門を開かれたのは神様です。神様は、パウロが伝える福音を通して彼女の心を開かれたのです。
その結果、彼女の家族全員がイエスを信じ、バプテスマを受けました。後にその家はピリピ教会となりました。その教会の門を開き、ピリピの看守の家族全体がイエスを信じてバプテスマを受け、教会の構成員となるようにされました。
今日も同じ歴史を成し遂げてくださる父なる神様を畏れ敬い、家々に「人が神に帰る」という祝福が臨むことを祈ります。